10/03 ロシア革命 民族自決とアジアの民族運動 1)ロシア革命(P150-151)  ロシア:皇帝が独裁⇔社会主義者たち  →1905:第一次ロシア革命    └日露戦争(1904-05)中  皇帝ニコライ2世は議会を設置、皇帝権力を制限  第1次世界大戦(1914-1918)   他の列強に比べて経済力が弱いロシアで食糧難が深刻化  →1917労働者と兵士がソヴィエト(評議会)を結成し、皇帝に反抗(三月革命) 皇帝退位   資本家寄りの政府  →労働者と兵士はボリシェヴィキ(ロシア共産党)のレーニンを指導者として十一月革命を起こす   ↓  1922ソヴィエト社会主義共和国(-1991)   共和党政権   レーニンの後を継いだスターリンのもとで、計画経済[経済を国家(共産党)が管理]  →スターリン独裁へ   民族自決┬ソ連内部の民族に自治権を与える       └植民地解放運動を支援 インド インドの民族運動(P122-125,158)  1877- 英領インド帝国 →イギリスによる民族差別に反対する動き  1885- 国民会議派 ヒンドゥー教徒中心 スワラージ(民族独立) スワデーシー(国産品愛用)  1906 全インドムスリム連盟(イスラム教徒) 10/10  インドの民族運動┬→1919インド国内の自治権が与えられる   民族自決の流れ┘   同時にローラット法(民族運動の取り締まり強化) →国民会議派のガンディーを中心とする非暴力非服従運動  スワデーシー⇔植民地経済(イギリスに原料を渡しイギリス製品を買う) →1947 イギリスからインド(国民会議派)独立 ムスリム連盟はパキスタンとして独立 中東の民族運動  1299-1922 オスマン帝国 第1次大戦→セーヴル条約で解体  トルコ 外国の侵入→軍陣のムスタファーケマルが国土を守り、  トルコ共和国(世俗的な近代国家)を建国(アタテュルク)  トルコ以外 第1次大戦中のイギリスの二枚舌外交  バルフォア宣言(1917) ユダヤ人にパレスチナでの国家建設を認める イラク、ヨルダン、エジプト、サウジアラビア独立             その他はイギリス、フランスが管理 →中東戦争(パレスチナ問題)の原因 東アジアの民族運動  朝鮮 1910 日韓併合 軍隊や警察の力で反対抑える     1919.03.01 民族自決の流れを受けて朝鮮民衆が独立宣言を行う(三・一運動)           →3ヶ月間日本軍と衝突 →日本は同化政策(朝鮮人の日本人化)に転換 10/17 中国 1911 孫文による辛亥革命 →中華民国 各地に軍閥、国内が分裂状態になる 1915 第1次世界大戦中に日本が山東半島を攻める →イギリスと同盟、ドイツが半植民地化    日本は中国政府に21ヵ条要求を出す 日本が中国での利権を要求 1919 中国が21ヵ条要求の撤回を求めて北京大学生を中心に反日運動を起こす(五・四運動)    このころ魯迅は文字作品を通して中国人の精神的自立を目指す    孫文は広東で中国国民党を結成    上海の中国共産党ともに手を組む(第1次国共合作)    孫文の後を継いだ蒋介石は北方の軍閥を倒す    その途中、共産党の弾圧へ転換    蒋介石に攻められた共産党は延安まで長距離移動(長征)    →毛沢東はこの苦難の旅の中で党内の主導権を握る 世界恐慌 1920年代の米国(P154,162)  第1次大戦の後、イギリスに代わる世界の中心となる 特に国際金融面(ニューヨーク ウォール街)  国内でも大量消費社会が成立   現代の先進国の生活スタイルが登場    アイロン、オーブン、システムキッチン、自動車、ラジオ、冷蔵庫、映画    ベーブルース、あるカポネ、ウォルト・ディズニー    ヘンリー・フォード(自動車王) ベルトコンベアで作業を効率化   労働者に高い給料を払う →大量生産と大量消費の結合   →必要以上の生産・投資が行われる   →1929.10.24 暗黒の木曜日 ニューヨークで株が大暴落   →世界恐慌(企業の倒産・失業が相次ぐ)   @イギリス・フランスはブロック経済へ向かう    他国を犠牲にして自国と植民地の経済を優先 10/24   A米国 ニューディール政策 フランクリン・ローズヴェルト(民主党1933-,P162)    過剰生産    → 物が売れない    → 恐慌     ↓          ↓    連邦政府が生産調整 失業対策(公共事業)TVA    AAA,NIRA      労働条件改善 ワグナー法   Bソ連 社会主義のため恐慌の影響なし スターリンの五ヵ年計画   C北欧 福祉国家    ・労働者代表(LO)と資本家代表(SAF)が国家規模で団体交渉    ・社会党政権は合意形成に努力   D日本・ドイツ・イタリア 対外侵略路線    満州とモンゴルは日本の生命線    生存圏(ドイツ) 領土拡大で経済強化を狙う ファシズムの成立  イタリア 第1次大戦で勝利するが、領土拡大認められず   →1922 ムッソリーニを党首とするファシスト党がローマ進軍を行う    →ファシスト党政権が成立 一党独裁対外侵略(アルバニア、エチオピアなど)     └→ファシズム(P164)  ドイツ 第1次大戦の敗北   →ワイマール共和国、多額の賠償金   ヴェルサイユ体制への不満が恐慌で増幅される   →ナチスの人気が高まる 党首ヒトラー 10/31   1933 ヒトラーが選挙で政権を握る      議事堂放火事件で国会から共産党を追放 →全権委任法を立法      民主的な手続きで独裁へ      ドイツ人の優秀さを強調 ユダヤ人の迫害 →アメリカへユダヤ人が亡命      パレスティナ      軍需生産 →失業解消 侵略へ  スペイン   1936 ファシズムに対抗するための人民戦線内閣が成立      →フランコの反乱        ヘ      オ ミ 義     人   フ   ド イ      | ン 勇 ソ → 民 × ラ ← イ タ      ウ グ 軍 連   戦  ン   ツ リ      ェ ウ       線   コ     ア      ル ェ        イ   1937 ドイツ空軍がゲルニカ市を空爆 →ピカソの抗議「ゲルニカ」   1939 フランコ政権  日本 第1次大戦後、世界五大国の一つに(工業生産力は米国の1/20)   世界恐慌、東北冷害 →経済危機   →関東軍(植民地にいた日本軍)は中国の侵略に向かう   1931.09.18 柳条湖で関東軍が鉄道を爆破 満州事変 中国東北部         満州国の要職に日本人が就く   1932 五・一五事件┐   1936 二・二六事件┴軍陣が政治家を暗殺   1936 西安事件 張学良が蒋介石を換金 共産党と手を組ませ日本に対抗 →第二次国共合作 11/07 関東軍  日本が中国東北部(満州)において、日露戦争の結果獲得した南満州鉄道と遼東半島(関東州)をを守る日本軍  自ら鉄道を爆破し、中国兵の仕業として満州事変を起こす  (1928年の不戦条約に違反しないように戦争ではないとした) 1937.07.07 盧溝橋で日本軍と中国兵が衝突 →日中戦争(1937-1945)(北支事変→支那事件)       日本が上海を攻略 →上海攻略軍が急に南京へ攻め込む(補給不備) 1937.12.13 南京攻略 南京大虐殺 捕虜の殺害、略奪、強姦が頻発 →軍慰安所増加       中国の抵抗は続き,1938年以降、日本軍は中国に常時100万以上駐屯       →ファシズム国家と接近 1940 日独伊三国同盟 英仏米と対立    英仏は東南アジアの植民地経由で中国を支援    →日本は資源豊富な東南アジアへ 戦時体制へ  治安維持法(1925)   天皇中心の日本国家を変えようとする運動の弾圧  国家総動員法(1938)   議会法によらず、天皇の命令で国民の権利を抑制できる  朝鮮・台湾での皇民化政策   神社参拝や日本語強制 日本式姓名への改名強制(創氏改名) 11/14 ドイツ  1938 ヒトラーがオーストリアを併合 チェコのズデーテン地方も併合(ミュンヘン会談)  1939 ヒトラーはミュンヘン会談の約束を破り、チェコスロヴァキアを支配     独ソ不可侵条約  1939.09.01 ドイツがポーランドに侵攻(第2次世界大戦1939-45)        ソ連もポーランドに侵攻  緒戦はドイツが有利  枢軸国 連合国  ドイツ⇔イギリス、フランス、ポーランド  1940 ドイツがフランスを染料     フランスのヴィシーにペターらがドイツに協力する政府を作る     →ロンドンに亡命したド=ゴールはドイツへの抵抗(レジスタンス)を訴える(チャーチル首相)     日本はフランスの植民地だったインドシナに進駐     イタリアもドイツ側へ →1940日独伊三国同盟  1941 日ソ中立条約(4月) →日本軍は東南アジアを南下し、米国と対立  1941.06 独ソ戦  1941.12.08 日本軍が真珠湾を攻撃し、米国に宣戦 マレー半島に上陸        イギリス植民地とも戦争(太平洋戦争1941-45)        大東亜戦争(日本側の正式名)